曹洞宗とは(曹洞宗は坐禅宗)

仏教の中の禅宗

紀元前5〜4世紀、お釈迦様は29歳から35歳まで、多くの哲学者に学び、苦行して心の解脱を求めた。しかし苦行では体も心も解放できないと気がついて、最後に坐禅でさとりを開く。禅で心と体のこだわりを解放することが悟りだ、という実践仏教が確立されるのが5世紀ごろである。お釈迦様の第一の弟子摩訶迦葉尊者から27代目の般若多羅尊者が、その弟子の菩提達磨大師に中国に禅の教えを伝えるように委託した。
すでに中国には1世紀から仏教が伝わっており、5〜8世紀にかけて学問仏教が完成していく。そのころ中国禅宗の始祖達磨大師から6代目の曹渓山(大鑑)慧能禅師が、生活のすべてで無心を実現していく”生活禅”を確立する。その後、禅宗は中国仏教の主流となる。
9世紀になると、厳しい坐禅で心の飛躍を迫る臨済義玄禅師と、黙々と労働や坐禅をしていくうちに角がとれてまるい人柄ができる修行をめざした洞山良价禅師があらわれる。その禅風の違いにより、それぞれを「臨済宗」と「曹洞宗」と呼ぶ。
「曹洞宗」の名は、曹渓山慧能禅師と洞山良价禅師の名にちなむ。

日本の曹洞宗

鎌倉時代に「曹洞宗」を日本に伝えたのは道元禅師である。
道元禅師は比叡山で天台教学を学ぶが、「人間には本来、仏性(仏の本性)が備わっているという。なのになぜ、「人は仏となる修行を積むのか」という疑問をもつ。その答えを求めて、日本臨済宗の開祖栄西禅師が開いた建仁寺に移り、宋(中国)に渡って、天童山景徳寺の如浄禅師と出会い、やっと釈尊正伝の真実の禅と巡りあった。
只管打坐ー仏になりきって、仏としてただひたすら座る。
禅宗とは、お釈迦様の悟りの内容ー完全に静寂無心になってあらゆる束縛から解放された涅槃、その全身全霊を自分の上に実現することが煩悩から救われる道だ、という教えである。
道元禅師の教えを現在のように日本全国に広める基礎を作ったのが瑩山禅師である。

所存の教典を持たない

曹洞宗の宗旨

曹洞宗の特徴を知るには「曹洞宗宗権」を見るのがわかりやすい。そこには「本宗は、仏祖単伝の正法に従い、只管打坐、即身是仏を承当することを宗旨とする(宗旨第三条)とある。
仏と人間は別物ではない。損得や欲望など煩悩が動き出す以前の心は静寂で、その世界は万人に共通している。したがって、師と弟子のさとりは異なるものではなく、坐禅で静寂が信じられ、それになりきったら、師と弟子も同じ世界にいることになる。師から弟子へ、同じ静寂を伝えるから「単伝」というのである。
その坐禅の世界に心底落ち着いている事を「只管打坐」という。”ひたすら坐れ”という事を意味し、その時煩悩に染まった汚れた心をさしはさむ隙がないことを「即身是仏」という。静寂無心が即(直ちに)仏の涅槃の世界なのである。
それを最初に語ったのがお釈迦様であり、日本で「正法眼蔵」に著し語ったのが道元禅師である。そして、その教えを広める基礎を作ったのが瑩山禅師である。
よって釈迦牟尼仏を本尊とし、高祖承陽大師(道元禅師)・太祖常済大師(瑩山禅師)を両祖とする。

不立文字

坐禅修行によって得られる涅槃寂静の世界を言葉や概念で論証することは不可能だ。これこそ言語道断の意味そのものであり、禅宗では「不立文字」といわれる。
なぜなら、静寂無心になるのはあなた自身であり、言葉や概念にしばられたら、その心は死んでしまう。禅の教えとは、理論や言葉でさとりを証明するのではなく、その人が静寂そのものになりきることである。静寂を月とすれば、教典に書かれた言葉は月を指す指である。つまり静寂になることが主で、教典は従ということになる。
他宗では「所依の教典」といって、救いの根拠となる教典をよりどころとして教理を立てているが、禅宗では、教典はさとりを論証するものではあっても、さとりそのものとは見ないのである。


双葉社:曹洞宗のお経より